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『本能寺の変の真実』は──明智光秀の子孫、憲三郎さん(66) が講演で明らかにする

1: :2014/01/14(火) 19:01:27.74 ID:

★「本能寺の変の真実」説く 明智光秀子孫が講演 大多喜
2014年01月14日 16:03

戦国武将の明智光秀の子孫、明智憲三郎さん(66)が大多喜町で「本能寺の変の真実」と題し講演した。
なぜ光秀が主君の織田信長に謀反を起こしたのか?日本史の転換点にからんだ先祖を研究し、
「唐入りを防ぐためだった」との新説にたどり着いたという。

地元の団体「上総大多喜城立葵の会」が歴史研究講座として主催した。会員や歴史ファンら70人が聴き入った。

明智さんは、10年ほど前から歴史資料を読み解き、「本能寺の変431年目の真実」(文芸社)などの著書を出した。

冒頭、「謀反人のレッテルが嫌でしかたなかった」と名字のため子ども時代に苦労した話も。
年齢が長じて、光秀の私怨が本能寺の変の原因になったとの定説に異を唱える見方に接し、
「真実を知りたい気持ちが強くなった」と続けた。

「ときは今あめが下しる五月かな」(土岐氏である自分が天下を治めるべき5月となった)。
この光秀の有名な句は、勝ち残った豊臣秀吉が家臣に書かせた本が由来とし、当日の日付や天気を含め
「実像とはかなりずれている。信長を恨んでいたのはありえない」と指摘した。

さらに、信長は天下統一後、中国大陸侵攻の構想を持っていたと解説。

光秀が本能寺討ち入りに至った真実は「天下統一をすれば平和の世になると思い頑張ってきた。
さらに外国に行くのを知ったのはショッキングなものだった。一族滅亡まで追い詰められ武将として決断した。
動機は唐入りの阻止しかなかったと思う」と結んだ。

http://www.chibanippo.co.jp/news/local/174619
講演する明智さん=大多喜町



【関連記事】
秀吉死亡後、どうすれば豊臣家は滅亡せずに済んだの?


4: :2014/01/14(火) 19:03:33.50 ID:
実際謀反だろ
事実を予測でねじ曲げようとするなよ
子孫もどうしようもないな
6: :2014/01/14(火) 19:03:47.40 ID:
直系って絶えてなかったの?
17: :2014/01/14(火) 19:07:19.89 ID:
>>6
本能寺の変、明智光秀の子孫末裔はいるのですか。
http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q1421163889
13: :2014/01/14(火) 19:06:26.74 ID:
何年か前に明智光秀の子孫と称する日系メキシコ人の女性歌手がデビューしたような気がするんだが…
30: :2014/01/14(火) 19:09:53.76 ID:
>>13
14: :2014/01/14(火) 19:06:40.13 ID:
明智光秀の「本能寺の変」は戦国史最大の謎のひとつであり、
諸説あるがいまだにその本当の原因は掴めていない。
しかしその直前にあったある事件に注目すると
明智光秀て家康が事態に迫られて協調関係を結んだ可能性が見え、
ここからひとつの新たな仮説が生まれるのである。

織田家の重臣・佐久間信盛は近畿の地に織田家中で最大規模の軍団を統括し、
信長の織田家の家督相続前からいる古参であることもあわせ、
「織田株式会社の副社長」ともいうべき位置にあった。

天正8年には石山本願寺と和睦し、10年にもわたる戦いに終止符を打つ。
ところがその年の8月、突如として信長から19ヶ条にわたる折檻状を突きつけられ
織田家から通報、財産を全て失って熊野に落ち延びた。
この時つき従う者は1名きりだったという。

『寛政重修諸家譜』によると信盛を讒言して陥れたのは光秀だという。
その後光秀は信盛の畿内大軍団を引継ぎ、信長会社のNo.2の地位にのし上がる。
更にここで信長が死ねば彼の息子を傀儡化し、織田株式会社のトップに君臨、
果ては天下統一を果たして日本の王となれる可能性が出てきたのだ。

もちろん光秀のそのような思惑は信長も承知していただろう。
織田家中にあって絶大な権力を誇る信長は、
あまりに成長しすぎた光秀を失脚させる機を伺っていた。
20: :2014/01/14(火) 19:07:59.10 ID:
家康と結託して信長を暗殺し、死んだフリで逃げて天海になったという話の方が
面白いな。
26: :2014/01/14(火) 19:08:54.09 ID:
さらに2年後の天正10年3月、織田・徳川連合は甲斐武田との戦いに勝利した。
その報酬として家康は信長から駿河一国を与えられた。
これで家康は東海に3カ国を有する大大名に成長した。

その年、家康は信長に対する礼のために、わずな供を伴うのみで安土城へ向かった。
敵地でもないのに大軍を伴って信長の本拠地を訪れては、友誼を疑われるからである。

この時に信長は光秀を接待役に指名した。
ところが優秀なハズの光秀が不思議な事に失態に告ぐ失態を演じ、
これによって信長は異常なまでに光秀を罵ったという。
このストレスが光秀を本能寺の変に向かわせた理由のひとつであるとされる。

さて、当時信長の置かれた状況を考えれば予想がつくが
あと10年ほどで天下統一を成し遂げられるほどになっていた信長にとって、
これまで便利な戦友として有効利用してきた家康は、表面上持て囃してはきたが、
いまや将来的に最大の敵となりうる可能性を秘めた脅威になっていた。

その家康が、自分の手による「大歓迎」によって、
兵隊すらロクに連れず自分の庭ともいえる場所にいる。
これは今後到来しないかも知れない家康暗殺のための千載一遇のチャンスであり、
もしかするとこの機会に信長は、家康を何としても消してしまいたかったのかもしれない。

そしておそらく、その“役目”を光秀に申し付けた。
家康を毒殺せよ、と。
しかし光秀はこれに逆らった。
そして恐らくはわざと、馬鹿馬鹿しい失態を繰り広げて敢えて何もしなかった。

当然だろう。光秀が信長の望み通り家康を毒殺したりすれば、
その後「光秀が勝手に友好大名である家康の暗殺を謀った」という名目で
信長に消され、口封じをされてしまうのは火を見るより明らかだったからだ。
そうすれば家康と光秀という、信長にとって目障りな二大人物を一度に始末できるというわけである。
580: :2014/01/14(火) 20:26:47.22 ID:
>>26
信長の卑怯を憎む性格からいってそれはない。
598: :2014/01/14(火) 20:30:05.27 ID:
>>580
そう?病気と偽って見舞いに来た親戚を刺殺したりしてるじゃん
邪魔者には卑劣な手も使うよ
35: :2014/01/14(火) 19:11:08.78 ID:
天下統一に王手のかかったこの状態では、残る戦国大名の討伐は
勝家や秀吉たちの軍団で十分であり、いまや光秀は切り捨てても構わない──
そう光秀の脳裏にあったのかも知れない。

事実、重臣中の重臣であるNo.2の佐久間信盛ですら、
石山本願寺との戦いが終わり用済みになった途端、信長はあっさり追放してしまった。
同じくNo.2の地位に座しつつも信長の命を果たせなかった自分が、
同じく短期間のうちに左遷させられてしまう未来が、光秀にはありありと見えていたのだろう。

この家康歓待の宴における光秀の失態に業を煮やした信長は、光秀の領地を没収するよう告げた。
これは事実上の最後通牒のようなもので、「もし次に家康暗殺に失敗したらお前を消してやるぞ」と
信長は暗に言っていたのかも知れない。

こうなるともはや光秀が取るべき手段は1つしかない。
逆上して主君を討つことだろうか? 言われるがまま家康を暗殺し、主君に媚を売る事だろうか?
否、もはや信長を見捨て、家康と手を組んで何とかしてこの窮地を脱する事だった。

一方家康も愚か者ではないゆえ、この時期に僅かな供のみを連れて、
魔王・信長の懐に招かれるという自分の置かれた状況の真意に気づいていただろう。
となれば光秀と家康が生き残るために手を組んだ可能性は高い。
二人の会見の場を設けたのは、両者と日頃から親しくしていた京都の豪商・茶屋四郎次郎だろう。

そしてこの直後の6月、光秀が戦国史上最も不可解といわれる反乱「本能寺の変」を起こす。
そして予想外の大事変に信長軍団の耳目が全員そちらに向いている間、
家康はこの千載一遇の好機に乗じて、何とか京を脱出して三河に帰還してしまった。
もしこの異変が無ければ信長軍団に「消されて」いた可能性は高い。
40: :2014/01/14(火) 19:12:03.28 ID:
滅んだのに子孫がいるのか。傍流のそのまた傍流で気が遠くなるような家系図だろ。
43: :2014/01/14(火) 19:12:08.68 ID:
信長が明に攻め込んでたら楽勝だっただろうな
52: :2014/01/14(火) 19:13:43.90 ID:
>>43
それは無いかと
物量で無理
55: :2014/01/14(火) 19:14:22.86 ID:
>>52
光秀もそう考えたんだろうな
95: :2014/01/14(火) 19:18:04.28 ID:
>>55
つか信長も判ってたと思うぞ
スーパーリアリストじゃん
84: :2014/01/14(火) 19:16:54.63 ID:
>>43
信長時代なら 結構行けたと思うね
ヌルハチとかみると
秀吉の晩年の朝鮮出兵ですら 明の崩壊の1つになってるし
47: :2014/01/14(火) 19:12:59.14 ID:
明智光秀は名将で知られる。
光秀の子孫は徳川家に重宝された。
48: :2014/01/14(火) 19:13:05.28 ID:
>>1
平和さえ唱えれば
主殺し、反乱何でも有りの主張が、こんな所にも出てくるとは・・・
ついでに、現代の対中関係にも乗っかって主張するから、タチが悪い
355: :2014/01/14(火) 19:53:09.00 ID:
>>48
大河でこれやられるとほんとゲンナリする
51: :2014/01/14(火) 19:13:43.69 ID:
さすがに それはないわ

単に 天下を狙ったんだろ
まあ 信長のパワハラが契機の1つだろうが
56: :2014/01/14(火) 19:14:38.28 ID:
光秀は後の南光坊てんかい説は?
68: :2014/01/14(火) 19:15:24.87 ID:
>>56
光秀の息子が有力説
60: :2014/01/14(火) 19:14:52.74 ID:
戦国時代って怖いね。
政治の頂点に立とうと思ったら、「ぶっころす」だもん。
恐ろしや。
67: :2014/01/14(火) 19:15:21.42 ID:
大河で光秀を主人公にしたらこんな理由にするんだろな
くだらねえ

如水も愛と平和のために九州切り取りはじめます
77: :2014/01/14(火) 19:16:08.84 ID:
年下の上司に苛められたぐらいで謀反起こすとか最低
101: :2014/01/14(火) 19:18:21.98 ID:
>>77
松永久秀とどっちが最低なの?
99: :2014/01/14(火) 19:18:10.77 ID:
信長は天下統一1歩手前で死去って嘘だよな 死亡時点では関西と中部の一部しか押さえてないし

北条、上杉、毛利、長曽我部、佐竹、島津、伊達の大大名が沢山残ってるし
238: :2014/01/14(火) 19:35:48.40 ID:
>>99
近畿一体で500万石を持ってたんだぞ。
他は毛利始め、大大名が居ても雑魚ばかりで
天下一歩手前は本当だろう。

俺はむしろ、取ったと思ってる。
253: :2014/01/14(火) 19:38:43.52 ID:
>>238
それは言ったら九州制覇した島津も天下統一1歩手前になっちまうだろ
299: :2014/01/14(火) 19:45:42.53 ID:
>>238
俺も信長が幕府開いていたとは思う。人間50年の時代だから、
寿命との競争だったろうけれどもw
310: :2014/01/14(火) 19:47:37.26 ID:
>>299
朝廷動かす力は備えてたよな。
中国地方落としたあたりで幕府開いてたかも。
414: :2014/01/14(火) 20:02:55.56 ID:
>>99
人口、工業力、商業力の突出してる畿内と東海を支配してる時点でゴールは見えてるだろ。
429: :2014/01/14(火) 20:04:30.49 ID:
>>414
そっかな....地方も押さえなきゃ意味は無いと思うけどな
結構、幕末は地方にボコボコにされたじゃないの
660: :2014/01/14(火) 20:38:54.25 ID:
>>429
幕末は情勢がまた変わってるだろwww
江戸時代で二世紀は時間たってるんだぞ
100: :2014/01/14(火) 19:18:16.42 ID:
明智の子孫として弁護したい気持ちはそれなりに理解できるが、気になったのはその視点ではなく
「国内の戦国は良い戦国で、外国に勢力を伸ばすのは悪の戦国」という
いかにも現代日本人のブサヨク史観ありありなとこかなw
193: :2014/01/14(火) 19:29:10.27 ID:
>>100
まあそうだな、でも、秀吉のときでも明攻めに反対した武将なんていくらでも居た
理由は善悪じゃなくて「あの人数に勝てねーよ」という観点からだったらしいよ
特に貿易とかで有る程度大陸の情報を持っていた武将に多かったとか
信長はその情報を持った上で「勝てる」と踏んでいたのかも知れないが
信長の頭の中なんて当時理解できる人間のほうが少なかっただろう

秀吉のは、まあ無策だっただろうな、秀吉の戦争方法を見ると
大兵でわーっと攻めて行って、勢いで勝つみたいな作戦が多くて
「名作戦」といえるようなものが皆無だし、まあ大兵力を集められるというのが
秀吉の能力だったのだが、事大陸戦となると、その強みは発揮できないわけで
実際明の将軍は「日本の軍はおかしな軍隊だ、ここの城攻め等はとんでもなく強いのに
全体のま戦略というものが感じられない、平押しにひたすら攻め上れば明を取れると思っているのか」
みたいな事を言ってる。
223: :2014/01/14(火) 19:33:30.80 ID:
>>193
秀吉も信長に負けず劣らず
優秀だったぞ
あんな大軍を派遣しても
日本国内が大きく傾かなかったし
長生きしてたら明を滅ぼしていたかもしれんぞ
308: :2014/01/14(火) 19:47:22.73 ID:
>>223
いや、あの朝鮮征伐と対明戦争は調べればわかるが、何の戦略も無い平押しだから
「戦略では」まず勝てないだろ、日本国内での戦争ならば戦略の無い力押しでも要所を押さえれば
勝てるが、こと大陸での戦争となると、「落しどころ」を考えて戦略を練らないと、泥沼になって
結局国力の大きいほうが粘り勝ちする。また秀吉の対明戦争が一つの引き金となった結果
明も財政破綻して順に滅ぼされるわけだがそれでも、文禄慶長の役が1590年代で
順建国までには50年近い時間がかかっているから、それまで日本が戦線を維持できるはずも無く
結局は双方消耗して、日本は大陸から手を引くというシナリオしかなかっただろうと思う。
371: :2014/01/14(火) 19:56:25.31 ID:
>>308
戦略は立てていってたよ
2回目は

一回目は、戦略なくてつきすすみ過ぎて
小西行長の知略で冬将軍での全滅は免れたが

二回目の朝鮮征伐は冬将軍と供給物資対策のために
城を作りながら進むという作戦になった

信長なら1回目で全滅させてるかもしれん
233: :2014/01/14(火) 19:35:05.95 ID:
>>193
信長も戦上手ではないだろう
248: :2014/01/14(火) 19:37:37.08 ID:
>>233
斎藤義龍にも負けてばかりだったし
戦国の名将と直接戦って勝ったことないもんね
295: :2014/01/14(火) 19:44:54.92 ID:
>>248
尾張の侍は日本有数の弱さだったからな。
信長が勝てたのは強い相手と喧嘩しない勝てそうな相手に勝てるまでしつこく喧嘩売って一度でも勝ったら徹底的に滅ぼす。これを繰り返して力をつけた
380: :2014/01/14(火) 19:57:45.51 ID:
>>193
いや、そのなんの戦略もなくワーッと攻めて来る騎馬民族にやられ続けて来た
のが中華の歴代王朝なんだけどな。
ちなみに綺麗な陣形を作ってドラや金を合図に軍師の采配どおり動いて攻撃す
るシナ王朝の戦略は多民族の烏合の衆の大軍隊を動かすためにそうやっている
のであって、実際のところ攻撃するタイミング、引くタイミングが丸わかりの
この戦法は意外なほどもろい。
似たような例でヨーロッパ伝統の密集陣形でまともな軍事訓練すら受けていな
い民兵のいい標的になってバンバンやられて敗北したアメリカ独立戦争での英
国がなんかがある。
427: :2014/01/14(火) 20:04:18.78 ID:
>>380
だから、その大兵が、日本と大陸では違ったんじゃないかなって事。
あと、清が順を攻めたときみたいに疲弊しまくっていて、抵抗する力がなくなったとき
というタイミングも大きいかも、まあありえない話だけど順が明を倒したあと
騎馬民族の変わりに、日本が攻め込んでいたらまた変わっていたかも。
480: :2014/01/14(火) 20:10:37.86 ID:
>>427
そもそもの話し、唐入りはイスパニアから進められた話しで、当初はイスパニア
と協力して巨大ガレオン船で大軍団を直接明に送り込むはずだったのですよ。
秀吉とイスパニアとの決裂とアルマダの戦いによる無敵艦隊の敗北によってこの
話しはなくなってしまい、不利な半島経由での進出になってしまったのです。
106: :2014/01/14(火) 19:19:24.98 ID:
信長を裏切ったという点では秀吉も同じだよな。
信長の子供を自分の家来にしちゃったんだから。
それも、信長的には謀反だろ。
422: :2014/01/14(火) 20:03:49.93 ID:
>>106
秀吉は

・信長の子殺し
・信長の側室殺し

してるからある意味悪人。
信長は旧主の土岐氏を一応保護してたのに
家康も今川氏真を高家に取り立ててるし
108: :2014/01/14(火) 19:19:32.48 ID:
>一族滅亡まで追い詰められ武将として決断した

これだけじゃねーの?
一族が滅亡すると思えば、信長相手でも戦うわな

あと、組んでた奴が絶対いると思うんだけどナー
誰かと共同して信長勢力と戦うことを予定してたと思う
この組んでた奴が誰かってのを知りたいわ

一番利益を得たのは秀吉なんだよなー
でも、秀吉は中国地方から猛スピードで帰ってきて、これは予定外だったと思う

もし秀吉が猛スピードで帰ってなかったら、どうなってたんだろうな?
133: :2014/01/14(火) 19:21:50.27 ID:
>>108
戻らなかったら近畿は光秀傘下になってたと思う。
ただし柴田や羽柴、信雄、徳川あたりに包囲された
可能性は高い
279: :2014/01/14(火) 19:42:31.62 ID:
>>133
単純に近畿で構えて、毛利・長宗我部と同盟さえすれば明智の天下だろう
織田家臣への誘いはあまり期待してなかったと思う

ただ毛利への密使を秀吉に捕らえられたのが致命傷だった
秀吉も、信長の仇打ちというより
毛利と光秀が結んだ瞬間アボーンなのは明白であり、密使が複数いる場合を考えると兎に角速攻で引き返し光秀を撃破するしか生き残る道はなかった

北条相手に滝川は見事にアボーンし、柴田は上杉相手にすでに優勢であったのでアボーンしなかった
長宗我部は四国守備を優先し動かず丹羽も助かった

要は毛利への密使が無事届き、毛利が猛攻をかけさえすれば秀吉の天下は絶対無かった
116: :2014/01/14(火) 19:20:40.67 ID:
それには無理があると思うな
むしろ朝廷の甘言に乗っただけだろ
122: :2014/01/14(火) 19:21:00.68 ID:
俺は、光秀が信長を殺しててよかったと思うよ

じゃないと信長が専制君主化して
日本人が中国や朝鮮まで劣化し
その果てに外国の植民地になってたと思うよ
139: :2014/01/14(火) 19:22:21.66 ID:
>>122
どんだけ信長長生きすんだよw
190: :2014/01/14(火) 19:28:46.85 ID:
>>139
いや、信長なら完全に専制政治を引くから
その子、孫の代で完全に組織が中国までくさる。

信長が天下とって20数年生きていたとしても
それでも腐る。
128: :2014/01/14(火) 19:21:34.39 ID:
光秀指揮下の軍は略奪強姦とか絶対禁止だな 逆に秀吉指揮下だと何でもあり
145: :2014/01/14(火) 19:23:16.14 ID:
>>128
そう言う軍隊は弱いらしいぞ?
軍の末端にまでご褒美なんてあげられないのに略奪とレ※プなんて禁止したら軍の士気が低下する
146: :2014/01/14(火) 19:23:24.54 ID:
秀吉の中国大返しも異常だし、本能寺直後の毛利の秀吉への従順さも異常
165: :2014/01/14(火) 19:25:35.68 ID:
光秀は天下とろうと思ってなかったと思うよ
天下とるのであれば
計画がずさんすぎるし
信長さえ殺せば天下が取れるわけでもなかったしね

ただ、朝廷や足利幕府のために
殺そうと思ったんじゃね
171: :2014/01/14(火) 19:26:20.50 ID:
細川護煕も明智の子孫じゃないの?
232: :2014/01/14(火) 19:35:04.61 ID:
>>171
違うらしいよ
ガラシャの血を受け継いで無いそうだ
250: :2014/01/14(火) 19:38:27.43 ID:
>>232
調べたら細川隆一郎っていう政治評論家が、
明智光秀の血が入ってるらしい。
197: :2014/01/14(火) 19:29:50.64 ID:
ちょっと調べたら 末裔沢山いるようでwww
228: :2014/01/14(火) 19:34:14.30 ID:
>>197
明智一族はそりゃ沢山残ってるし
嫁に行ったのも含めればはっきりしてるが

光秀の子孫となるとかなり…
今も明智を名乗る直系って誰の系統なんだろう
216: :2014/01/14(火) 19:32:43.80 ID:
唐入りしてたら、日本は発展してたな、カトリック国だし
ポル語が標準で、鎖国は無く、のんびり国民が暮らしてた
230: :2014/01/14(火) 19:34:26.28 ID:
何言おうが、信長に浪人風情から厚遇してもらった恩を仇で返したのは変わんねーよ

しかも討った後gdgdだしな、ろくに根回ししてねーから、
味方に付く筈だった将が動かねーわで三日天下乙だわ
236: :2014/01/14(火) 19:35:31.87 ID:
信長が恨み買いまくってたのは事実だろうな
秀吉もガッツポーズしながら大返ししたに違いないw
256: :2014/01/14(火) 19:39:19.50 ID:
明智の姓は、秀吉の時代は名乗れないはず
苗字を若干変えて残っているよ
262: :2014/01/14(火) 19:39:48.57 ID:
信長が手薄な軍勢で本能寺で宿営してた方が謎だわ

しかも嫡子信忠ともに居たらアカンやろ

その点、家康は異常なまでに用心深かった
285: :2014/01/14(火) 19:43:04.12 ID:
>>262
信忠は別のところ(妙覚寺?)にいて、逃げられたのにわざわざ戻ったはず。
341: :2014/01/14(火) 19:50:55.36 ID:
>>285
長男坊の最大のポカだよなあ。四国渡航軍と合流して、弔い合戦やれば良かったのにな。
バックれる時はバックれ、捲土重来を目指すってな親父の信長みたいなノリは無かったな。
26歳って若かったのと、織田家のボンボン御曹司で、貴族っぽく成っちゃっていたのかな?
420: :2014/01/14(火) 20:03:43.07 ID:
>>341
まじめだったんじゃないの
信長と違って
277: :2014/01/14(火) 19:42:03.81 ID:
実は平和が大好き、戦が嫌いですた。って最近の大河かよ。w
289: :2014/01/14(火) 19:43:45.49 ID:
案外有名武将の子孫って生き残ってるもんなんだね
うちも祖先が毛利一門だったみたいだけど今じゃ没落してただのサラリーマン・・・
家にあった家紋つきの物とか家系図を質屋にいれようとして親にぶん殴られたこと
あるわwww

いくら昔祖先が誰もが知る家でも子孫が没落すればただの庶民だね
305: :2014/01/14(火) 19:46:32.24 ID:
>>289
武家は大名クラスでも家系を捏造しまくってるしなぁ
将軍家の徳川氏だって,清和源氏を称しているが,かなり怪しい
358: :2014/01/14(火) 19:53:43.42 ID:
>>305
結局子孫も凄くないとだから何?嘘でしょで終わるよね
祖先は毛利一門って絶対に人前では言うなってよく親とかおじいちゃんに言われたわ

別に貧しい家じゃなかったけど昔の残ってる物とか金になるなら売って遊んで
暮らせばいいのにってずっと思ってたけど子供できた今は売らなくてよかったと
思う
それが本物か偽者かはわからんけど少なくても毛利一門だったかもしれないって
誇りにはできるしね
人前では絶対に言わないけどw
388: :2014/01/14(火) 19:58:49.91 ID:
>>358
友達が小早川だけど隠しようがないw
457: :2014/01/14(火) 20:08:14.28 ID:
>>388
復活したほうの小早川家?
一応今でも毛利一門の子孫でたま~に集まるけど小早川って人はいなかったような・・
俺が知らないだけかもしれんけど
まーでも毛利宗家も生きてるし生きてたのかもね
一門の子孫が生き残ってるのはまったく関係なくても嬉しい
520: :2014/01/14(火) 20:17:38.12 ID:
>>457
そういう家柄がある人って羨ましいわ。
家柄は絶対に後付でどうにもならないからな。

俺は九州産まれなので「俺は平家の落人の末裔だ!」とか
自称しようかと考えたこともちょっとだけあったが虚しいのでやめた。
実際は明治まで苗字すら無かった百姓の子孫だしな。
333: :2014/01/14(火) 19:49:57.94 ID:
>>289
現在の戦国大名、武将の子孫

織田→スケート
上杉→サラリーマン
武田→サラリーマン
伊達→観光業
島津→観光業、軍事産業、製薬会社
佐竹→秋田市長
徳川→アナウサー


島津と伊達と佐竹だけが上手く立ち回ってるのな
345: :2014/01/14(火) 19:52:00.50 ID:
>>333
織田は違う
勝手に名乗ってる
366: :2014/01/14(火) 19:54:57.84 ID:
>>345
失敬 織田は違うんだったな

>>289
現在の戦国大名、武将の子孫

織田→不明
上杉→サラリーマン
武田→サラリーマン
伊達→観光業
島津→観光業、軍事産業、製薬会社
佐竹→秋田市長
徳川→アナウサー
細川→あのバカ
武田家臣 甘利→政治家
武田家臣 板垣→政治家



武田家臣は結構優秀なのな
291: :2014/01/14(火) 19:44:21.28 ID:
イエズス会文書には日本の軍事力を利用して、
チャイナを攻め取ろうという事がハッキリ書かれている。
それに従った動きを秀吉がした訳だが、
その時はイスパニアがオランダ独立戦争に忙殺されて、
無敵艦隊を送り込む事が出来なくなっていた。
この対立を上手く利用したのが家康だった。
オランダと結んで武器弾薬を確保し、
関が原を勝利に導いた。
それでオランダとの貿易を江戸幕府は行っていたのである。
296: :2014/01/14(火) 19:45:13.96 ID:
革命には必ず出てくる明智一族は果たして偶然かそれとも
光秀と龍馬と細川総理はすべて時の政権を倒した共通点がある 
337: :2014/01/14(火) 19:50:11.61 ID:
信長は将軍になる気はなかったらしいが
断ったとも言われているし
やはり 統一後は 信忠に日本任せて
唐討ち入りだろ
370: :2014/01/14(火) 19:56:20.41 ID:
>>337
信長は中国の皇帝になろうと考えていたという説もあるね、
志半ばに倒れた英雄だからこそ、中国の皇帝となった後ヨーロッパまで
というロマンを掻き立てられるわけだが。
343: :2014/01/14(火) 19:51:04.09 ID:
秀吉も死に際の見苦しさったらない。
自分が信長の息子たちにした仕打ちを
思えば秀頼の行く末など期待するだけ
無駄
377: :2014/01/14(火) 19:57:05.70 ID:
>>343
秀吉は信長の息子たちに何をしたの?
406: :2014/01/14(火) 20:01:27.89 ID:
>>377
三男坊は切腹申し付け、次男は100万石から浪人とかの仕打ちw
信長の孫に岐阜城と10万石与えたが、関が原で改易。

で、天下は実力のある者が獲れば良いで、家康にみーんな持って逝かれた豊臣政権。
471: :2014/01/14(火) 20:10:07.52 ID:
>>406
ひどすぎワラタw
信長に対する忠誠心はなかったんだなぁ
510: :2014/01/14(火) 20:15:54.54 ID:
>>471
戦国時代の武士って、今で言う職業選択の自由じゃないけど、主君選択の自由
みたいな思想持っていたらしいよ、あと下克上も無能な君主なら当然、みたいな空気があったらしい

忠義だの武士道だの言い始めるのは、江戸時代になってから
606: :2014/01/14(火) 20:30:38.94 ID:
>>471
徳川幕府は敬意を払って一応織田家を国持大名格扱いしてたし、
家康は旧主の今川を高家としてそれなりに遇してる。一時は豊臣家を
「客人」扱いにして存続も考えてた家康のほうが慈悲深い
357: :2014/01/14(火) 19:53:41.94 ID:
もちろん秀吉はイエズス会の野望を知って驚愕し、
伴天連追放令を出したがイスパニアポルトガルとの貿易は止めなかった。
秀吉は関白として、調停のシモベとしてチナを攻め取ろうとしたのである。
373: :2014/01/14(火) 19:56:29.37 ID:
>>357
西洋列強が遠大な計画をもって日本を植民地化しようとしてたのなら
信長が日本を統一する後押しをしたのはおかしいだろ
分裂したままの方がずっと好都合のはず
408: :2014/01/14(火) 20:02:05.99 ID:
主君がどれだけ暴君だろうが謀反後に討伐されたら謀反人のままだわな

ただ、謀反人の末裔ねえ…
本物なの?
424: :2014/01/14(火) 20:04:00.12 ID:
>>408
山崎の合戦で負けたのが、光秀の武将人生の全てかな。
勝たなきゃ、戦国時代だもの、勝てば全部取りが転がり込むw
447: :2014/01/14(火) 20:06:26.24 ID:
>>424
山崎の合戦は下馬評じゃ明智有利だったらしいけどなあ
まあ、劣勢の方が往々にして勝つのは戦の常でもあるが
461: :2014/01/14(火) 20:08:59.13 ID:
>>447
兵数は1.5~3倍で秀吉優勢だったというのが通説ではないか?
492: :2014/01/14(火) 20:12:20.82 ID:
結局、織田家は信長の成り上がりの結果という認識で忠誠心があるものがいなかったということなのか…?
秀吉もそういうことだったから秀吉死後、豊臣政権は崩壊したのか…?

関ヶ原の時に言われた豊臣恩顧の大名なんて
本当の意味ではいなかったんじゃないか?
織田恩顧の大名もいなかったではないか

してみると家康は三河時代からの人材を大事にした点が
信長・秀吉との違いなのか…?
502: :2014/01/14(火) 20:14:04.75 ID:
もし、明智光秀があそこで謀反起こさなかったら、その後の歴史はどんな感じになってたんだろうな
532: :2014/01/14(火) 20:19:49.89 ID:
>>502
信長絡みの話になると、必ずそういう声出るし、
信長ってそう思わせる何か大きな魅力というかカリスマがあるんだろうなぁ
光秀は謀反起こした相手が悪かった
528: :2014/01/14(火) 20:18:35.45 ID:
光秀の長男は本能寺の変の際、14歳で自害している
他は嫁いだ娘ばかり

明智姓の光秀の子孫なんているわけがない
光秀の親戚の子孫ならあり得るかもしれないけど
546: :2014/01/14(火) 20:22:02.49 ID:
>>528
ガラシャの子孫が明智を名乗ったということは考えられるのでは?
625: :2014/01/14(火) 20:33:55.50 ID:
>>528
生存説もあるけどね
僧侶になってるから子供はいないとは思うけど
531: :2014/01/14(火) 20:19:03.32 ID:
織田信長ってDQNだろ
そりゃ坊主でインテリの光秀はやってられなくなるよ。
周りで出世してるやつは
柴田勝家 → 脳筋
羽柴秀吉 → 顔が猿。しかも百姓
丹羽長秀 → 地味
滝川一益 → 優秀だと思うけど、俺の方が優秀だろ。なのに俺より出世してる
535: :2014/01/14(火) 20:20:14.56 ID:
朝廷黒幕説は無さそうだ
朝廷が黒幕ならば、光秀は当然見返りに事前に錦の旗と勅令を要求する
朝廷が断れば朝廷の真意を読める
というか、信長にバラすぞと思わせれば朝廷は絶対に断れない

徳川黒幕も無い
光秀が毛利と組んで近畿西国に強権を築けば、信長以上の脅威となるばかりか、全方位敵となり滅亡は必須

秀吉黒幕説も無い
博打としては危険過ぎる
毛利の大軍が背後に控える状況で和議も結んでいない状況から信長を討つとか無い
光秀と秀吉が通じているのなら、信長を中国の前線に閉じ込め光秀が近畿を抑える状況が一番の討つ好機になるはず

普通に単独説が無難だと思うよ
545: :2014/01/14(火) 20:21:53.74 ID:
>>535
> 普通に単独説が無難だと思うよ

同意見だけど「後」はどうする気だったんだろうな
天下とれると思っていたのだろうか
577: :2014/01/14(火) 20:26:27.47 ID:
>>545
現実的な光秀は
天下なんど考えていなかったと思うよ
602: :2014/01/14(火) 20:30:17.69 ID:
>>545
先にも書いたが、織田家臣が幾ら逆らおうとも
毛利・長宗我部と結ぶだけで天下は取れる
近畿の軍は光秀が掌握
毛利は高松城へ大軍を向けており臨戦態勢
秀吉の事は毛利に密使が届くだけで速攻潰せると思っていただろう

毛利・長宗我部・明智で
近畿中国四国を支配すれば逆らえる勢力は絶対に無い
源氏の明智が征夷大将軍になって幕府を開き、毛利と長宗我部が大老の位置に揃う天下を想像してたんじゃね?

しっかし肝心の密使がお粗末でしたとw
556: :2014/01/14(火) 20:23:34.19 ID:
ちょいっと詳しい人が多いので答えられる人は答えてくれ
戦国時代を海外は「黄金の国ジパング」と呼んでたらしいが何を見てそう思ってたの?
604: :2014/01/14(火) 20:30:21.96 ID:
>>556
商売人のマルコポーロがヨーロッパに紹介した。
実際日本には来ていない伝聞で紹介。

まあ、現代でも宇宙人は実在した!って煽ると、信じる人達が居るだろ?
夢があったなってな話しw
593: :2014/01/14(火) 20:29:13.09 ID:
純粋な戦闘能力でいうとどの武将が最強だったの?

やっぱ島津?
618: :2014/01/14(火) 20:32:29.81 ID:
>>593
島津かな....時点で三河時代の徳川?

戦国時代で一番に大将首をあげてるNo.1は島津家久。
異論は認めない。
736: :2014/01/14(火) 20:49:11.20 ID:
>>618
立花宗茂も候補に上げても良くないか?
この方、島津との戦で開城した時以外ほとんど負けてないだろ。
761: :2014/01/14(火) 20:53:47.88 ID:
>>736
立花宗茂も最強候補だと思うぞ?
朝鮮の役では大活躍したし、関ヶ原の戦いでは立花宗茂が間に合ってたら時代が変わってたって言うしな

立花宗茂もそうだが福岡県民は強いんだよ。島津を退けたし、やればできるんだがエンジンがかかるのが遅いんだよw 追い込まれないと進化を発揮しないし....
805: :2014/01/14(火) 20:59:18.08 ID:
>>761
ifを言ってもしょうがないけど、立花宗茂は上杉謙信や武田信玄ともいい戦いするんじゃないかと思ってるわ。

ちなみに柳川藩に返り咲いたから福岡の人と言っても間違いではないが
大分出身の俺としては、立花宗茂は大友家から出た大分人だと思いたいw
生まれ育ったのは豊後のはずだしさw
832: :2014/01/14(火) 21:02:15.53 ID:
>>805
真田 信繁でしょ。
だって殆ど自分の家臣じゃない連中を纏め上げて、家康に一泡吹かせたんだからな
619: :2014/01/14(火) 20:32:31.22 ID:
太閤秀吉のファンだが、本能寺の変は恐らく秀吉が裏で糸を引いてるよ。そうしないと中国大返しの辻褄が合わない
646: :2014/01/14(火) 20:37:29.04 ID:
大河ドラマではしょっちゅう戦国武将が平和のため、平和のためと
ほざいてるが、当時の侍が平和のためとか思ってるわけないだろ。
これこそ洗脳教育。
718: :2014/01/14(火) 20:46:33.16 ID:
>>646
その辺りはむしろ逆なんだよなあ。
何せ戦国時代は戦ばかりで荒廃しているかと思いきや、各地の大名達がまとも
に領地経営をやり始めて石高、つまり今で言うGDPが右肩上がりで上がっていた
んだよねえ。
しかも、ひとたび戦で手柄を立てれば褒美がもらえたり出世が出来たりするも
んだから夢や希望があった。
一介の百姓でも「いつか一国一城の主に」という夢も持てたんだよねえ。
一部の特権階級的な知識人。
当時だと坊主や朝廷の公家やそれに近い考えの武将を除けば、いつまでも乱世
が続くのを密かに願っていたんじゃないかなと思う。
799: :2014/01/14(火) 20:58:44.79 ID:
>>646
戦闘狂いだったのは下っ端の侍だけだ
功なり名を遂げた武将は平和を望んでいたぞ
939: :2014/01/14(火) 21:22:00.50 ID:
>>646
それ嘘じゃないぞ
ずーっと戦国時代が続いてたから大抵の武将は平和を望んでた
ただし自分たちが勝って自分たちに都合のいい平和を、だけど

で、秀吉が天下を半ば統一してから生まれた世代の連中は
逆にもっと戦国が続いてほしいと願ってた
槍一本で出世できた可児才蔵とかを話には聞いてても
自分たちの世代じゃそういう方法はすでに使えなかったから戦国の世に戻りたかった、とさ
670: :2014/01/14(火) 20:41:04.71 ID:
自分は光秀は強い使命感から謀反に踏み切ったと考えているよ。たぶんあのまま
信長の天下になったら世の中はどうなるか?自分と一族の命運はどうなるか?
光秀なりに考えたら、はかばかしくない予測しかでなかったんだろう。そのおり
ちょうど信長がわずかな供と本能寺に宿泊するという情報が入った。この機を
逃せばむろん信長により天下は統一されてしまう。それを防げるのは自分以外
いないというのが、光秀謀反の真意だと思う。
697: :2014/01/14(火) 20:44:15.56 ID:
>>670
俺は、朝廷・足利幕府のためのと思うよ
外様なのに信長に信用されるぐらい
明智光秀は律儀ものだから
723: :2014/01/14(火) 20:47:15.67 ID:
>>697
足利は分からないでもないが朝廷の為とは?
742: :2014/01/14(火) 20:49:49.63 ID:
>>723
光秀は
朝廷工作をしてたから
天皇制が廃止される危機感をもってたんじゃないかな
690: :2014/01/14(火) 20:43:08.86 ID:
秀吉の水攻めで地獄の苦しみを受けた毛利が何故か西軍の総大将だからなw
713: :2014/01/14(火) 20:45:55.10 ID:
とりあえず光秀って信長を滅ぼすことを足軽・雑兵には伝えず、自分の軍団の
最高幹部にだけ伝えたんでしょ。光秀がどうやって最高幹部の明智秀満や斉藤
利三を説得したのかそれが知りたいな。
735: :2014/01/14(火) 20:48:52.72 ID:
>>713
明智が政権内で地位低下してたのは明智側近なら知ってる
織田からの与力じゃないんだから、派閥のボスと一蓮托生だから
過半数以上が賛成したら、あとは付いていくだろ
そんな重大な話打ち明けられて、少数が反対したら、その場でヌッ殺される
762: :2014/01/14(火) 20:53:51.60 ID:
光秀の子孫名乗るなら「細川」名乗らないとね
明智家(光秀の系譜)は羽柴家に皆殺しにされたから存在してるわけがない
840: :2014/01/14(火) 21:04:24.09 ID:
>>762
いや、喜多村保之という男児が生き延びてるよ。
後、光秀の長男の光慶が生き延びて妙心寺に入って玄琳と名乗り、
その後、和泉国に移って本徳寺を開いたと言う俗説もある。
ちなみに本徳寺には日本で唯一の明智光秀の肖像画が残ってたりする。
974: :2014/01/14(火) 21:28:08.68 ID:
>>840
しかし、天下の謀反人たる明智の殿様の肖像でも
しっかり守って後世に伝えてるんだから、偉いもんだよな。
764: :2014/01/14(火) 20:54:09.59 ID:
そもそもなぜ、毛利があの時点で秀吉に負けを認めたのかがわからない
(負けだったか休戦だったか忘れました。)
789: :2014/01/14(火) 20:58:03.06 ID:
>>764
毛利はかなり押されてたからね
信長が死んだとなればもうちょっと粘っただろうけど、
それを知らないとなれば、一旦停戦してくれるなら喜んでしたいほどやばい状況だったんだよ
情報戦で信長の死を毛利に届かせなかった秀吉が一枚上手だった
779: :2014/01/14(火) 20:56:39.08 ID:
信長って悪だぜ
光秀が謀反を起こしたのは理解できるよ

神社仏閣を焼き討ちし、坊主や女子供まで殺した鬼畜だからな
そこまで深く考えることないよ
811: :2014/01/14(火) 20:59:53.25 ID:
>>779
武装勢力を自前で抱え武力を背景に付近一帯を荒らしまくって
女という女と子供の男子をお持ち帰りしてハーレムを形成し我が世の春を堪能してた坊主を焼いて何が悪い?
849: :2014/01/14(火) 21:05:47.11 ID:
>>811
戦国乱世の時代に武装してなにが悪いんだ?
現代の感覚で歴史を語るなよ
825: :2014/01/14(火) 21:01:16.35 ID:
>>779
坊主どもが叡山から降りて、坂本城下で高利貸しやりながら酒や女にうつつを抜かしてるありさまだから、
当時の人からも当然だと思われてた。寺社を焼き討ちして恨まれてたのはドン・フランシスコ・大友
782: :2014/01/14(火) 20:57:33.92 ID:
毛利と羽柴の間を取り持ったのは安国寺恵瓊だよ
秀吉に天下を取らすと吹聴してただろ。
関ヶ原で腹を切らされるほど自分は政権の中心にいたし
小早川と羽柴を養子縁組させたり、宇喜多を抱き込んで
中国地方を安定させたり。

豊臣政権の中身は毛利だらけ。
847: :2014/01/14(火) 21:05:30.94 ID:
細川護熙も明智光秀の子孫なわけで
896: :2014/01/14(火) 21:12:45.01 ID:
関が原は北の政所が徳川方についたのが大きいな。
何で夫を裏切ったんだ
908: :2014/01/14(火) 21:15:37.05 ID:
>>896
関ヶ原なら
徳川に味方する=豊臣を裏切る
という事にはならないんじゃね
918: :2014/01/14(火) 21:18:12.95 ID:
>>908
福島や山内も含めて、あの時点で豊臣を裏切ったということに
なると思うけど。
932: :2014/01/14(火) 21:21:09.18 ID:
>>918
後から見りゃそうだろうが当時は一応
豊臣家の家臣同士の戦いって建前だったんじゃなかったか
947: :2014/01/14(火) 21:23:47.45 ID:
>>896
旦那の愛人がふんぞり返ってる方に付きたいとは思わないと思う
まあ、北の政所が淀君と会見して、秀頼が一廉の武将に育っていたら
徳川相手に勝つ可能性があるが、淀君の公家的な教育で育った
あまちゃんでは勝てないから、降伏して1大名で良いから豊臣家を残してくれ
と淀君に言ったという話ほど子かで聞いたことがある。
969: :2014/01/14(火) 21:27:22.14 ID:
>>947
女の戦いをも利用した家康は流石ってか、朝飯前だったんだろうな。
984: :2014/01/14(火) 21:30:09.17 ID:
>>947
それ見て思い出したけど

豊臣家を大名じゃなくて公卿として残す案があったって説もある
淀君とかもそれに納得してたからお公家様として育てた、という感じで

ただ豊臣恩顧の大名がどいつも早死にしてこの問題を軟着陸させられなくなったのと
肝心の秀頼がやる気満々だったからあのような結末になってしまったんだとか
898: :2014/01/14(火) 21:13:34.55 ID:
四国・九州も、関東・東北の侵攻もできてない状態で、唐入りなんて、遠い目標すぎて
それを阻止とかあるわけがない。せめて姻戚だった長宗我部元親が統一しそうな四国への侵攻を防ぎたかったとかのほうがまだ説得力がある。
911: :2014/01/14(火) 21:16:53.40 ID:
>>898
奥州、関東、四国、九州は「従属」という状況で唐入りを企画したのが織田信長。
実際に島津や北条などの地方有力大名は誼を通じていた。
934: :2014/01/14(火) 21:21:23.45 ID:
>>911
長宗我部も最初は同盟していたが、対立。 
織田信長はいつもそう。
953: :2014/01/14(火) 21:25:13.91 ID:
>>934
だからこそ、光秀は信長を討つべきだと思ったんだろうね。
信用の無い信長の天下では、いつかまた内戦が起こるだろうって。
俺なら内戦を防ぐ天下の仕組みを作れる、と。
914: :2014/01/14(火) 21:17:21.70 ID:
もうどうでもよくね??

最後は毛利と島津が勝ちました。で
926: :2014/01/14(火) 21:19:36.47 ID:
>>914
たしかに最終的に勝利したのは毛利と島津と長宗我部だったなwww
元スレ:http://www.uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1389693687/


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