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【2】『本能寺の変の真実』は──明智光秀の子孫、憲三郎さん(66) が講演で明らかにする part 2

1: :2014/01/14(火) 22:27:35.23 ID:

★「本能寺の変の真実」説く 明智光秀子孫が講演 大多喜
2014年01月14日 16:03

戦国武将の明智光秀の子孫、明智憲三郎さん(66)が大多喜町で「本能寺の変の真実」と題し講演した。
なぜ光秀が主君の織田信長に謀反を起こしたのか?日本史の転換点にからんだ先祖を研究し、
「唐入りを防ぐためだった」との新説にたどり着いたという。

地元の団体「上総大多喜城立葵の会」が歴史研究講座として主催した。会員や歴史ファンら70人が聴き入った。

明智さんは、10年ほど前から歴史資料を読み解き、「本能寺の変431年目の真実」(文芸社)などの著書を出した。

冒頭、「謀反人のレッテルが嫌でしかたなかった」と名字のため子ども時代に苦労した話も。
年齢が長じて、光秀の私怨が本能寺の変の原因になったとの定説に異を唱える見方に接し、
「真実を知りたい気持ちが強くなった」と続けた。

「ときは今あめが下しる五月かな」(土岐氏である自分が天下を治めるべき5月となった)。
この光秀の有名な句は、勝ち残った豊臣秀吉が家臣に書かせた本が由来とし、当日の日付や天気を含め
「実像とはかなりずれている。信長を恨んでいたのはありえない」と指摘した。

さらに、信長は天下統一後、中国大陸侵攻の構想を持っていたと解説。

光秀が本能寺討ち入りに至った真実は「天下統一をすれば平和の世になると思い頑張ってきた。
さらに外国に行くのを知ったのはショッキングなものだった。一族滅亡まで追い詰められ武将として決断した。
動機は唐入りの阻止しかなかったと思う」と結んだ。

http://www.chibanippo.co.jp/news/local/174619
講演する明智さん=大多喜町




【関連記事】
『本能寺の変の真実』は──明智光秀の子孫、憲三郎さん(66) が講演で明らかにする
秀吉死亡後、どうすれば豊臣家は滅亡せずに済んだの?


2: :2014/01/14(火) 22:28:17.32 ID:
くだらねえ
信長なんかに外国に行くほどの能力ないだろw
665: :2014/01/15(水) 08:54:03.09 ID:
>>2
> くだらねえ
> 信長なんかに外国に行くほどの能力ないだろw
 ↑
すげぇ無知
当時の日本軍=世界最大の陸軍国(鉄砲の数と戦術)
18: :2014/01/14(火) 22:38:20.37 ID:
そんなことより細川忠興の末裔が都知事に立候補したことをどう思っているのか
47: :2014/01/14(火) 22:49:23.62 ID:
>>18
妻の細川ガラシャは光秀の娘
だから、その都知事立候補者も光秀の子孫だ
21: :2014/01/14(火) 22:40:49.27 ID:
普通に考えて

中国通り越して、ヨーロッパに目が行ってただろ・・・
23: :2014/01/14(火) 22:41:04.33 ID:
先祖が戦国時代まで遡れるって凄いな
戸籍で辿るとせいぜい幕末辺りまでしか探れない
単純な場合でも父母2人、祖父母4人、曽祖父母8人、高祖父母16人、その一つ上でも32人、
合計すると62人も直系先祖が居らっしゃる
直径先祖を戸籍で辿っていったら思わぬ人物が先祖に居て放って置けなくなる場合もあるよな
94: :2014/01/14(火) 23:12:57.68 ID:
>>23
ウチも先祖は戦国時代まで遡れる。関ヶ原の功績で城を貰ったけど、その城は
その後破却され、代わりに近くの川の水利権を貰った。と本家の古文書?で読んだ。
27: :2014/01/14(火) 22:42:28.19 ID:
唐入り防ぐとかなら他の賛同者もいてもいいはずだがな
柴田勝家 丹羽長秀 にも見放され筒井順慶ですら従わながったことを考えると
別の理由と見るのが妥当でしょうね

日本側の記録は色々と創作があって信用ならないですね
ルイス・フロイスが本能寺の変のことを記録しているのが
かなり参考になるとは思う

フロイスの説明によると

光秀、安土城で信長に蹴られる→皆の前で恥をかく→恨む
  
光秀、毛利に向けて出陣→光秀、信長に軍勢を見せたいと京に立ち寄ることを伝える

光秀、これから家康を討つ名目で本能寺に突撃→信長暗殺

よく知られている流れなんだな。フロイスは光秀のことを聡明で思慮深いと
言っていて、本当の直属の家臣までにも悟られないように作戦を練ったらしい
だから、多くの兵士が最後まで家康だと思って戦ったらしい
つまり、光秀個人の恨みを果たす為に練りに練って部下にまでも本心を隠し
一世一代の大勝負に出たんだな
40: :2014/01/14(火) 22:48:07.10 ID:
>>27
 続き
家康を討つ名目だったとすれば、実は信長が
家康を討てと光秀に言ってた可能性があるんですね
家康を倒さなければ真の日本統一にはなりませんから

で光秀は、なにか家康に恩義があったかまたは
そういう信長が嫌になったかで、急に
信長を討つことを決断したのが真相に最も近いと思う
129: :2014/01/14(火) 23:30:08.01 ID:
>>27
おそらく信長は家康の暗殺を光秀に命じたんだろうね。

で、光秀は失敗したか家康に打ち明けたかした。

それで光秀が家康を討つ名目で本能寺を奇襲した。
家康は領地に戻るために速攻で伊賀越え。

秀吉が予想より早く戻ってきた、と。
173: :2014/01/14(火) 23:48:23.16 ID:
>>129
信長のことだから盟友家康であっても
突然邪魔だと思うのも全然違和感はないですよね

信長は光秀と家康の関係を予見して忠節試しのつもりで
家康討ての命令したかもしれませんね
光秀からしてみれば、さんざん苦労して家康と関係築いたのに
なんてことを言うんだと・・・まあ憤慨しここでプッツンかもしれませんね
52: :2014/01/14(火) 22:52:58.06 ID:
俺は徳川家康が黒幕と思うけどなあ。

後で光秀に感謝してるっぽいエピソード結構あるし
75: :2014/01/14(火) 23:03:02.52 ID:
>>52
 光秀と家康がつながっていたとしても
なぜ家康は本能寺の変のあと危険を承知で
伊賀の山を超えて三河に帰ったのか?ここが謎になる
家康はとっさに身の危険を感じて逃げた。それはなぜ?

信長に狙われていたとするなら信長は死んでるんだから逃げる必要なし
あくまで家康殺すというなら信長を殺す必要なし

どっちも説明つかないですね
57: :2014/01/14(火) 22:54:45.63 ID:
歴史って残酷だよな
吉良や明智はテレビや小説の影響で悪者みたいなイメージ持たれてるが
実際は浅野や信長の方が悪い行為してないか?
66: :2014/01/14(火) 23:00:34.25 ID:
>>57
光秀は生真面目な常識人として描かれるのが多い
たいがいイケメン俳優で、今度の大河もそう
72: :2014/01/14(火) 23:02:26.84 ID:
>>57
浅野は完全にバカ殿だな。吉良さんは全くの被害者
信長は色々と恐ろしいけどやはり英雄だから
明智は謀反を起こして失敗して百姓に竹槍で殺されるという情けなさで自業自得だろ
79: :2014/01/14(火) 23:05:28.41 ID:
そもそも信長が毛利に勝てないだろ


氏康「元就ほどの傑物はいない」
信玄「当世英雄は元就唯一人」
謙信「天下の人物は元就だろう」



戦国時代で一番羨望を集めてたのは信長じゃなくて毛利元就さんでした
残念w
95: :2014/01/14(火) 23:13:24.27 ID:
>>79
 本能寺の変(1682年)の時点では毛利元就は死んでます
毛利は毛利両川(吉川元春・小早川隆景)の時代にはいってます

最初は毛利が優勢だったんですが、鳥取城攻略されたあたりから
毛利は押されていきます。それで一大決戦に臨もうと
備中高松城(岡山)に毛利輝元、元春、隆景が勢ぞろいしているときに
本能寺の変がおこります。もし、本能寺がなかったら
備中は秀吉の水攻めに陥落し毛利は一段と苦しくなってたはずです
83: :2014/01/14(火) 23:09:02.54 ID:
たしか清は数十万の満州族が数億人の中国人を支配した。その証が辮髪だ。
もし信長が中国を支配したなら日本が一番先に植民地を持つことになる。
84: :2014/01/14(火) 23:09:06.65 ID:
まぁ、光秀は妻を心から愛していて、生涯側室を持たなかったって点は評価できる
あの時代においてそういう人間は純粋に尊敬できる
102: :2014/01/14(火) 23:15:52.02 ID:
歴史学者が日本の最重要の時が、信長と言ってる
世界が大航海時代になる、その時に鎖国、その後に産業革命
明治の役人がぶっ飛んだ、いまだにアジアとずれてる
わびさびとか、極貧こそいいという、負け犬根性なんだな
キリストも外国語もダメ、太平洋戦争も全て光秀の責任
国民は光秀に賠償を言っていい
106: :2014/01/14(火) 23:18:16.93 ID:
本能寺の変の頃、信長は畿内を押さえていたに過ぎない。九州は手つかずで、
中国は秀吉が毛利と睨みあい、東も関東は北条が健在でとても唐入りとか、
夢想さえしなかったと思う。何か、光秀が朝日新聞的な、9条信者みたいで
ワロタ
149: :2014/01/14(火) 23:36:53.95 ID:
>>106
ルイス・フロイスが『日本史』第55章で
「信長は、日本六十六ヵ国の絶対君主となった暁には、一大艦隊を編成して支那を武力で征服し、
 諸国を自らの子息たちに分ち与える考えであった」
と記してたりする
109: :2014/01/14(火) 23:20:51.72 ID:
毛利は長宗我部以下の蝙蝠だと思う
歴史の覇者を決める晴れ舞台で何やっていたの
118: :2014/01/14(火) 23:26:25.49 ID:
>>109
秀吉に貸しを作った。
毛利は元就の遺言で中国地方から出る必要が無かった。
123: :2014/01/14(火) 23:29:04.21 ID:
>>118
石山本願寺まで遠路はるばる加勢に来とるやん
128: :2014/01/14(火) 23:29:55.01 ID:
歴史雑誌で、光秀の影響が今日に影響してるのを読んで
目からうろこだな、信長は民主主義を世界で一番早くつかんでた
南蛮貿易にも拒否感なし、農民の武装にも警戒なし、刀狩りなんてしない
キリスト迫害もしない、楽市楽座や堺なんて完全に武装独立国
そんな世界の偉人を焼いたのが光秀だと、ちゃんと認識するように
130: :2014/01/14(火) 23:30:14.33 ID:
光秀が計画的に本能寺を襲ったのかすら疑問だな
まが差したというか突発的な行動に思える
光秀ほどの聡明な人ならもっと綿密に計画建てて良いはずなのに
信長討ったあとが杜撰であっという間に自身が討たれてしまった
137: :2014/01/14(火) 23:33:34.22 ID:
>>130
逆に、綿密にすれば
人の協力が必要になり
その人達から秘密が
ばれるからね
159: :2014/01/14(火) 23:39:59.59 ID:
>>137
そう考えると、信長だけ討てれば死んでも良いと考えていたことになるが
実行すれば一族もただじゃ済まされないし
そこまでして信長を討ちたかった理由はなんなんだろうな
天下を乗っ取るとかそんな理由もなく、ただただ信長さえ殺せれば良かったとなるから
やはり怨恨が動機なんだろうか
154: :2014/01/14(火) 23:38:56.17 ID:
>>130
信長って元々諜報のプロじゃん
綿密な謀反プランは全て事前に潰してる
信長に謀反した奴は全部突発的にしか謀反できていない
聡明だったからこそ、「信長を確実に殺す謀反」を達成できたんだよ
141: :2014/01/14(火) 23:34:52.42 ID:
統一したら分け与える土地がなくなるから、さらに外へ外へではあるけどね
142: :2014/01/14(火) 23:35:57.82 ID:
明智が毛利に送った使者が秀吉側に捕まった、というのは嘘だな
毛利が秀吉に差し出したんだろう

知らなかったことにしないと、面倒臭いことになる
144: :2014/01/14(火) 23:36:13.46 ID:
散々下克上の時代と学ばされ
斎藤道三や信長は比較的良く描かれるのに
光秀は専ら謀反人という扱いをするのは
昔から腑に落ちない
161: :2014/01/14(火) 23:40:48.85 ID:
光秀さんが信長を殺害しなかったら、日本の歴史はかなり変わっていて
現在のおまえらの大部分は生まれもしなかったよ
両親の出会いはおろか、その先祖の男女の出会いがない可能性が高いから(歴史に関係ない超辺境や山奥に住んでいた家系を除く)
だから、光秀さんに感謝しなきゃ
171: :2014/01/14(火) 23:46:08.23 ID:
唐入りとかw

まだ、上杉、北条、毛利、大友、竜造寺、島津、長曽我部・・・
信長50歳の時点でまだこれだけ独立した勢力ゴロゴロいるのにかい?
178: :2014/01/14(火) 23:50:17.62 ID:
>>171
独立勢力といっても
もはや大した敵は残ってなかっただろうから
天下統一の先を考えてたとしても
不思議ではないような
186: :2014/01/14(火) 23:53:11.96 ID:
>>171
本能寺の時点だと問題になりそうな勢力は北条と大友くらいだが
177: :2014/01/14(火) 23:49:12.33 ID:
今まできいた中で一番納得できたのは

信長は外人の血が入っていた
だから南蛮物大好きで寺を焼いたり
キリスト教も容認つまり外人どもと組んで
日本の植民地化を目論んでいた

光秀・秀吉・家康が一致団結して信長暗殺
そして日本は守られたと
・その他の主要人物
柴田勝家とか丹羽長秀とかは遊んでいた
石田三成は最後まで真相を教えてもらえなかった
秀類と淀君はなんかその努力を台無しにしようとして殺された
198: :2014/01/14(火) 23:57:06.10 ID:
>>177
前提の外人に血って言うのがなあ
比叡山焼いても仏教を禁じたわけでもないし
当時の秀吉は柴田、丹羽、光秀と比べても格下・農民の出身
とても光秀や家康との謀議に参加できるとは思えん
221: :2014/01/15(水) 00:08:27.75 ID:
>>198
まず外人どもの日本侵略って所に
とてつもなく納得がいかない?

でキリスト教での日本侵略に対して
当時の権力者はどうしたんだろうと想像すると
まず江戸時代のキリスト教締め付けが思い当たり
あれ?じゃあなんで信長は寛容だったのだろう?

と考えていくと実に納得いくような
ほらあのネットで出回ってる信長の写実の
おいこれネタか?みたいな絵
あの外人ぽい顔につながるし
195: :2014/01/14(火) 23:54:39.86 ID:
光秀って、新参にも関わらず信長の家来のなかでは最初に城を与えられたり、出世頭だったんだよね
ただ、最初は客人扱いしてくれてた年下で自分よりも格が下の信長に、衆人の前で殴られたりして、ストレス過多になってたんだと思う
なまじ頭が良くてプライドも高い人間を追い詰めるとこうなるの典型な気がする
216: :2014/01/15(水) 00:06:49.78 ID:
柴田と丹羽が滅んで名前を変えて明智は残って
前田 細川豊臣系が残ってたのは本能寺の変からつながってるとは
220: :2014/01/15(水) 00:08:21.34 ID:
>>216
丹羽は生き延びてる。幕末の二本松少年隊で有名な二本松藩は丹羽家。
227: :2014/01/15(水) 00:15:35.26 ID:
>>220
実は柴田も徳川の旗本として存続してたりするw
224: :2014/01/15(水) 00:12:43.70 ID:
信長に拾われる前の光秀は、流浪の足利義昭の家来のまま
朝倉氏に世話になってる。
恩人ともいえる朝倉父子のどくろを金箔細工して宴席の座興に
する信長、光秀たまらんやろな、秀吉みたいにバカ笑いして追従いえそにないし。
250: :2014/01/15(水) 00:39:01.37 ID:
深謀遠慮の智謀の士であり、万事そつなくこなす光秀にしては杜撰な計画で、
諸将に誘いをかける書状にも弱気に受け取れる一文もある
計画性がなかったことは明らか、突発的な衝動的な謀反だと思う
251: :2014/01/15(水) 00:43:19.37 ID:
>>250
動機は「やれそうだからやった」ってレベルだよなw
何かしらの不満や叛意、深慮遠謀があったにせよ、目の前にあった千載一遇のチャンスを物にせんと始まらんし
257: :2014/01/15(水) 00:47:50.82 ID:
下克上したかっただけだろ
謀反人ではるけどそれを恥じる必要はない
それが戦国の理
267: :2014/01/15(水) 00:59:40.97 ID:
信長は日本統一もまだだったのに
秀吉でなんとなく統一したが完全に統一しきったのは家康になってから
航海術の進歩で植民地時代がやってきてたのもあって秀吉や家康が苦労したのを知るにつけ
まったく理解してないこの明智の子孫にやっぱりななのであったDNA凄い
286: :2014/01/15(水) 01:13:59.59 ID:
明智って名前の坊主だったんじゃないかなー
それで信長に比叡山焼き討ちされたときから
いつか信長を暗殺しようと思って家臣を演じていた
その裏にいたのは家康で、家康が仏教勢力のバックを持ってたとすれば・・
もともと家康って藤原系じゃなかったっけ?
藤原といえば仏教だし
298: :2014/01/15(水) 01:24:49.43 ID:
逆説の日本史にあったけど
織田信長の政策は
足利義満の政策をなぞったものが多くて
足利義満も織田信長も
建てた建造物やら地名の命名等から
天皇家にとって代わるような野心を隠していたような節があって
どちらもその野心を正に実現させる直前に
急死してしまっているように見受けられる。
実は天皇家を守るための何らかの
システムがその時に発動したんじゃなかろうか。
311: :2014/01/15(水) 01:39:59.53 ID:
織田信忠も同時に殺している時点で偶然だった線が一番
クーデターを起こす場合、信長と信忠を同時に消さないと意味がない
この二人が同時に京都にいる奇跡
こんなチャンスはそうはないわけね。だから光秀じゃなくても行動を起こす
319: :2014/01/15(水) 01:50:35.83 ID:
信長公記以上の一次資料なんてあんのか。
346: :2014/01/15(水) 02:19:04.35 ID:
>>319
桶狭間の年数すら間違ってんのにか?
367: :2014/01/15(水) 02:40:21.76 ID:
誤解してる奴らが多すぎる
ルイス・フロイスの記録によると信長は日本を統一した後唐入りするつもりだったんだ
だから領民に優しく教養人だった光秀が平和の為に信長を討つというのは「要因」の1つになっても全然おかしくない
372: :2014/01/15(水) 02:45:46.26 ID:
>>367
唐入りが即、平和に反するって話も理解できないがね
成功して、かの地の生活が向上すれば平和なので
「失敗した」という答えがあっての判断
歴史やる人間が一番やってはいけない事
374: :2014/01/15(水) 02:49:38.21 ID:
>>367
フロイスに対するはったりかもしれない
強気なことを言っておかないとスペインやポルトガルらの列強に侵略されないまでも足元を見られる
386: :2014/01/15(水) 02:56:37.27 ID:
>>367
ルイス・フロイスに対する大見得
京に上ったとはいえ、天下統一にはまだまだ力不足
秀吉でやっと天下統一したけどまだまだ不安定状況、そこで家康250万石が
質・量共に安定してきて本当の天下人に

唐入りは、単なる夢物語をフロイスに語ったものと推測
387: :2014/01/15(水) 02:57:36.60 ID:
>>367
ルイス・フロイスは信長の六天大魔王(閻魔大王)自称を誤解して魔王セイタン(サタン)として
バチカンに報告した男だ。

近世まで、外国人に魔王サタン呼ばわりされたのは史上2人しかいない。
それは、織田信長と高杉晋作であるw
395: :2014/01/15(水) 03:06:39.81 ID:
>>1
それを言うなら、国内では「惣無事令」を出して私戦を禁止して戦後時代を終わらせ
方広寺の大仏のために、刀狩りをして一揆をできなくした豊臣秀吉をほめろよw

唐入り阻止とか、まだ毛利も上杉も北条も伊達も健在なのに、後講釈も甚だしいw
409: :2014/01/15(水) 03:15:12.69 ID:
>>395
毛利はもう傘下におさめたようなもんだし武田は滅ぼしたしもう先は見えてる時間の問題だろ。
全部領土に乗り込んで潰して直轄領にしなきゃならんわけじゃないし
429: :2014/01/15(水) 03:34:57.52 ID:
中世地方分権封建社会から近世中央集権へ移行したら統一と選択と集中でできた余剰国力余剰戦力で近隣への出兵が正当な選択
朝鮮出兵は時代の必然なんだがバカにはわからないんだよ
472: :2014/01/15(水) 04:21:42.88 ID:
主家殺しは当たり前の時代でも
二君に仕えていたのは明智光秀ぐらい

足利家家臣なのか織田家家臣なのか
実はよく分からない摩訶不思議な人物(´・ω・`)
478: :2014/01/15(水) 04:26:54.33 ID:
>>472
細川藤孝なんて
足利義昭→信長→秀吉→家康
前田利家も
信長→秀吉→家康
492: :2014/01/15(水) 04:36:07.25 ID:
>>478
戦国武将はそんなもの。
ニ君に仕えずなんてのは江戸時代に入ってからの思想。
藤堂高虎なんか主君を変えてのし上がった。まあ、頭が良かったのも幸いしたけどな。
494: :2014/01/15(水) 04:37:05.96 ID:
タイミング的には悪く無かったよな柴田と秀吉は戦地で戦闘中
家康も交遊中だったし
秀吉の大返しと家康を殺せなかったのは計算外
早くても1ヶ月後に戦闘でそれまでに他勢力と連絡して更に織田家臣団をまとめられると思ったんだろ
499: :2014/01/15(水) 04:39:53.02 ID:
ほんとかどうか知らんけど小説とかでは明智が毛利にやった間者が秀吉軍に
捕まって本能寺が漏れなくて講和できたってなってるよな。あれ漏れてたら
毛利と講和なんか無理で秀吉軍は挟み撃ちになってる。歴史は全く変わってたろうな。
502: :2014/01/15(水) 04:42:58.52 ID:
七度主君を変えねば武士とは言えぬの時代でも
ニ君には仕えずは当たり前のコトだったりする

二君とは二股って意味だ
普通なら蝙蝠さんは誰からも信用されない

なのに光秀は不思議に主君から信用されてる節がある
本当に摩訶不思議な人物(´・ω・`)
510: :2014/01/15(水) 04:47:06.68 ID:
>>502
同盟を結んだり破ったりしながら生き残りを図らなければならない時代だったわけで、ニ君に仕えずなんて思想はなかったっぺ。
512: :2014/01/15(水) 04:47:49.10 ID:
中国大返しで岡山の吉井川に速攻で浮き橋かけて渡ったというけど、事前に準備してないと
無理な気がする。吉井川は川幅がかなり大きい一級河川だからな。
524: :2014/01/15(水) 04:55:58.73 ID:
だいたい秀吉のときの唐入りだって、
全国の武将の圧倒的賛意で行われたことだったのに。
もし民意に反して外征しなかったら、秀吉が暗殺されてたであろうくらいの。
戦争には能動的に関わったくせに、いざ失敗したら
「俺は最初からダメだと思ってたんだよ」と言い出すのは
WW2後でも見られた卑怯者の姿だけどなw
525: :2014/01/15(水) 04:57:11.40 ID:
大儀のために戦う戦国武士など上杉謙信だけだろ

戦国武士が戦う理由は、自分と家臣の繁栄のため
 
533: :2014/01/15(水) 05:02:40.18 ID:
元亀元年に信長がよく明智邸に泊まってるよね?
小姓やらも泊まるしでかい屋敷なはずだよね
なんですでに京にそんな信長がホテルに出来るくらいでかい屋敷もってんのこいつ金持ち?
何者なのまじ明智謎っすね
553: :2014/01/15(水) 05:26:11.68 ID:
何で信長は光秀は裏切らないと信用しちゃってたんだろ
信長は若い時から散々裏切りされて来たのに
554: :2014/01/15(水) 05:30:29.47 ID:
伝聞通り是非も無しと言ったのが本当だったら
光秀を見誤ったことを恥じたのか、あるいはやられる予感はあったのだろう
ということで信長が何らかのトリガーを引いた説は結構言われてるんだよな
574: :2014/01/15(水) 06:15:37.78 ID:
でも覇業って、速度は倍倍で進んでいくとこあるでしょ。
後半にいくほど広い面積を一気に取れる。
603: :2014/01/15(水) 07:59:29.28 ID:
謀反を善悪で描かれてるのも気の毒と思うけどね
そういう時代だったとしか言えない
美化されるべき武将っていないんじゃないか
636: :2014/01/15(水) 08:36:57.20 ID:
壮大なスケールにしてゴマカシを画策かよ

実際は家康の依頼で寝返っただけ

だから光秀関係者は徳川幕府に重用されてるね
654: :2014/01/15(水) 08:47:40.01 ID:
>>636
だから、光秀=天海説が出たのな。
家光は天海を慕っていたらしい。母親は信長の姪なのにな。
それでも、家康を慕っていたから光秀が母親の叔父の敵でも親しんでいたか。乳母の春日局は光秀の側近の斉藤利三だし。
家光は光秀の一文字をもらったか。
日光に明智平があるし、桔梗紋もあるから光秀=天海説は興味深い。
686: :2014/01/15(水) 09:11:10.16 ID:
> >動機は唐入りの阻止しかなかったと思う
> この辺り強烈な左翼臭がするんだよね

だな

当時(古代から清王朝くらいまで)の中国は広大な東アジアプラットフォーム国家であり、
漢華民族でなくとも(現に、モンゴル民族=元も満州族=清も)中原を支配することは
可能なオープン国家だった

日本軍は陸軍力の海上移動がともなくから、有史以来なかなか参戦できなかったが、
この戦国時代末期、石田三成の利発かつ緻密な動員計画策定能力によって、中国
内部までの陸軍力輸送が可能となった

ご指摘のとおり「中国大陸は漢民族のものだから、日本人が攻めこむのは間違っている」
というのは戦後左翼の発想。易姓革命思想のあるプラットフォーム国家なのだから、武力
討伐すれば日本民族が中原を支配しても正当化された時代
707: :2014/01/15(水) 09:26:15.61 ID:
>>686
漢民族…?
691: :2014/01/15(水) 09:16:41.75 ID:
モンゴル族も満洲族も騎馬民族で騎兵による機動力を生かして中華帝国を翻弄したらしいな
716: :2014/01/15(水) 09:34:52.85 ID:
仮に信長が唐入りを行っても秀吉と同じような末路を辿っていただろうな。
721: :2014/01/15(水) 09:37:21.45 ID:
>>716
ん?
秀吉の唐入りが失敗したとか思っちゃってる?



それこそ徳川史観(勝者が捏造した歴史)
(プラス、戦後のブサヨ史観で増幅)
724: :2014/01/15(水) 09:39:39.33 ID:
>>721
成功だったのか?
陶工を連れてきたとかいう話は聞いた事あるけど、
他にも何か成果があったん?
732: :2014/01/15(水) 09:45:34.05 ID:
>>724
単に秀吉急逝で「政局」になってしまい、整然と撤退しただけ

撤退の海上輸送も石田三成が緻密に練り上げた世界最高峰の動員(撤退)計画で
あって、およそ敗走といったものではなかった
746: :2014/01/15(水) 09:53:34.07 ID:
海軍力が明治維新まで皆無で長距離航海さえ覚束ないのに唐入りて
信長もそこまで馬鹿じゃない フロイスの伝聞を真に受けすぎる
日本人は歴史資料を教科書の如く扱う(笑) 大見得を切った可能性が高い
なぜなら、当時科学力全般、欧州が日本を遥かに凌駕しているし
長距離航海する技術も資金もある食えない尖兵相手に交渉してるんだぜ
何よりもネックなのが火薬・硝石等の火器兵器の軍需物資が外国輸入だ 弱味は見せられない
985: :2014/01/15(水) 14:48:06.70 ID:
>>746
でも信長は欧州の科学力については知ってたんじゃないの
日本にも水軍あったろ?
763: :2014/01/15(水) 10:01:06.81 ID:
本能寺の変のあと秀吉が毛利と和睦して引き返すのに毛利側は何の不審も感じなかったのかな。
しかも秀吉は毛利の旗を借りてるし。
831: :2014/01/15(水) 10:58:33.65 ID:
>>763
情報が毛利方に行ってなかった可能性が高いけど、
戦をやめてトンボ返りしなきゃならない大事件が起こったことは察知してたっぽい
でも毛利方も勝ち目はないとして早々に和睦したがっていたし、
毛利方に秀吉と気脈を通じた重臣がいたし、渡りに船だったと思う
あるいは内々に話を通していたとしても、少しも驚かないかな
そのくらい当時の毛利は追い詰められてた
771: :2014/01/15(水) 10:05:36.23 ID:
家康のような外様を温存して
子飼いの軍事力を減らしてどうすんのよ秀吉さんはさ
777: :2014/01/15(水) 10:10:02.33 ID:
>>771
それは家康が面倒みることだろ
同等程度に打算を共有してる敵より
仕事のなくて暴発しそうな部下のほうを先に始末する
現代でもよくあること
823: :2014/01/15(水) 10:50:32.90 ID:
信長にとって最大の脅威が1580年から1582年にかけて消滅している
それは石山本願寺勢力と武田軍団だな
この2つ以外に近畿支配(すなわち当時の感覚でいう天下統一)の
脅威になるものは何も無い
石山本願寺の脅威が消滅した1580年はナンバー2の佐久間が粛清されて斃死した
そして1582年3月には武田勝頼が自害して武田軍団は事実上分解した
となれば1582年後半には織田家臣団に粛清の嵐が吹くのは誰にでも解るだろう
それで何も問題なしと思っていたのはアホな信長ただ一人でいかに能天気だったか解る。
その理由は1580年に佐久間を粛清したときに家臣一同顔面蒼白で顔も上げられないほど恐懼したからで
まったく同じように1582年にも順繰りに粛清していけばよいと単純に考えていたんだろうな
そんなわけで本能寺の変の1582年6月というタイミングはいわば必然であったわけだろ
830: :2014/01/15(水) 10:58:02.99 ID:
>>823
佐久間は能無しだと思うし、一番問題なのは秀吉みたいにがむしゃらに挽回しようとしない姿勢にあると思う
信長の感性だと如何にも嫌いそうだ
功臣というほど抜群の働きはしていない
835: :2014/01/15(水) 11:00:57.60 ID:
>>830
それも当たってるけどまだ織田家の家督を継げるかどうかすら微妙な頃から
一貫して信長を支えてきた佐久間の政治的功績は非常に大きなものがある
数十年の功臣を嫌いだから追放して野垂れ死にさせるという、
その人間離れした恩知らずな信長の性格こそが謀反された原因ではないかな
841: :2014/01/15(水) 11:04:42.88 ID:
>>835
そこに温度差・ギャップがあるんだろうな
信長からしてみれば佐久間は後ろ盾としての感覚はないのだろうな
実際、尾張統一時代から一族に離反・反逆が相次いでいる
878: :2014/01/15(水) 11:34:06.63 ID:
信長の長男は別としてそのほかの男子がパッとしなかったのが悔やまれるな。
そういった意味では信長は後継者育成に失敗したと言えるだろう。
それが秀吉につけ入る隙を与えてしまった。しかしその秀吉も後継者育成に失敗して
家康に乗っ取られてしまったのは皮肉だな。
880: :2014/01/15(水) 11:38:38.58 ID:
>>878
信忠のみに帝王学授けて信雄、信孝とは明確に差付けて育てたとか。
でもまあ、全盛期からは大分落ちたとはいえ信雄さんって結局家保った勝ち組だと個人的には思う。
885: :2014/01/15(水) 11:42:42.40 ID:
権威なのか軍事力なのか経済力なのかわからないけど
裏付けなく衝動殺人するタイプには見えない
腹に一物あったとしても先が見通せないないと仕掛けないタイプに見える
889: :2014/01/15(水) 11:47:22.07 ID:
>>885
気を見るに敏だからとっさに事の正否を判断するということもある

自分が京の目と鼻の先に二万の大軍とともにあり
急遽中国への出馬を決めた信長が
安土から出て裸同然で京にいるなんてチャンスはそうめったに訪れるものではない
886: :2014/01/15(水) 11:43:34.53 ID:
というか1582年の時点ですでに統一戦争の山場は超えていて
あとはいくつかある地方勢力を制圧すれば良いだけだったろ
光秀は三日天下と言われるが簡単に京都を制圧してるのだから
既に織田軍団以外には近畿方面に出兵する能力が無いのが解るわな
だから近畿=天下という常識を踏まえると光秀は見事に成功してるんだよ
計算外だったのは秀吉が毛利と通じてしまってた点だけだろな
895: :2014/01/15(水) 11:51:44.14 ID:
>>886
信長が生きてたら毛利や長宗我部との戦いだけで消耗してたし、
九州や関東まで行けてたかどうか怪しい
信長亡き後の秀吉が外交上手だったおかげて天下統一できたと思う
903: :2014/01/15(水) 12:06:33.93 ID:
>>895
秀吉が「オレに味方すれば得だぞ」で地方勢力を傘下に入れたのはそうなんだけど、
信長の天下統一は本願寺の石山退去あたりでほぼ山場を越えていたんじゃないかな。

史実で後に秀吉に敵対した明智、柴田、神戸、佐々、徳川、滝川は
1582の時点ですべて信長の配下・傘下で信長はこれらを自在に動かすことができた。
信長が生きていたら秀吉の1590よりもっと早く統一できていたと思う
897: :2014/01/15(水) 11:53:50.21 ID:
光秀を大悪人としておかないと
織田家を自称だけど正当に継承した秀吉の面子が立たなくなるからね

秀吉の極めて不自然な京都直行から考えて秀吉のほうは
光秀の計画を事前に察知してたと考えるのが自然だと思うが
そうであるならば既に籠城戦で9割以上かたがついてる毛利攻めの兵力を
半分ほど京都に戻しておけばよかったわけで、そんなことは口が裂けても言えないわな
899: :2014/01/15(水) 11:57:27.24 ID:
>>897
中国大返しも捏造かもしれんね
本当は主力が姫路に待機しててそこから山崎に行ったとか
925: :2014/01/15(水) 12:34:04.88 ID:
義元も一応、家康を育てたからな。家康の奴も恩知らずで
義元が死んだらすぐに今川家の敵になりやがった。そして、息子の
氏真からとうとう領土を奪いやがった。
942: :2014/01/15(水) 13:08:47.55 ID:
>>925
家康が将軍になってから今川氏真が年中遊びに来て長話しするもんだから家康が困り果てたらしいが・・・
946: :2014/01/15(水) 13:11:51.39 ID:
>>942
幼なじみが将軍になってうれしかったんだろう
いいやつだ
975: :2014/01/15(水) 14:20:23.45 ID:
>>946
氏真をバカにする奴が多いが
コイツ、家康やらなんやらVIP揃いのとこ呼び出されて
蹴鞠でおもろいことせぇや
と無茶ぶりされたときに

超絶難度の絶えて久しい蹴鞠技を復活させってから

ガチの強心臓だから

才能を蹴鞠で発揮しただけで

天下人の忍耐の限界まで通い続けるとか
並みじゃないっすから
元スレ:http://www.uni.2ch.net/test/read.cgi/newsplus/1389706055/


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